湯浅亜実さんは、2024年パリオリンピックの新種目ブレイキンで日本代表に選ばれた注目のダンサーです。
彼女の活躍の背景には、家族の強力なサポートがあります。
本記事では、湯浅亜実さんの両親の職業と教育方針について詳しく調査しました。
さらに、彼女の姉である亜優さんの経歴と、ダンスを始めたきっかけや家族とのエピソードも紹介します。
湯浅亜実さんがどのような環境で育ち、世界トップレベルのダンサーに成長したのかを理解することで、彼女の魅力がより一層深まることでしょう。
- 湯浅亜実の両親の職業と教育方針
- 母親の献身的なサポート
- 姉・湯浅亜優の経歴と職業
- 姉妹でのダンスエピソード
湯浅亜実さんの実績
- 2018年4月、Red Bull BC One(スイス・チューリッヒ)B-girl部門優勝(初代女王)
- 2019年、第1回WDSF世界ブレイキン選手権(中国・南京)優勝(初代女王)
- 2019年9月、第1回世界アーバン大会(ハンガリー・ブダペスト)優勝(初代女王)
- 2020年11月、第2回全日本ブレイキン選手権オープンBGIRL部門優勝
- 2021年、第3回WDSF世界ブレイキン選手権(フランス・パリ)準優勝
- 2連覇を果たせなかったものの、3位の姉・Ayuとともに姉妹での表彰台となる
- 2022年7月、国際総合大会ワールドゲームズ(アメリカ・アラバマ州バーミングハム)金メダル
- 2022年10月、第4回WDSF世界ブレイキン選手権(韓国・ソウル)2019年に続き2度目の優勝
湯浅亜実の両親の職業と教育方針
引用元:americanexpress
湯浅亜実さんが成功するまでには、両親の職業や教育方針が大きな影響を与えています。
母親の献身的なサポートと父親の教育方針について詳しく見ていきましょう。
母親の献身的なサポート
湯浅亜実さんの母親は、娘のダンス活動を徹底的にサポートしてきました。
埼玉県川口市から神奈川県溝の口まで片道2時間の道を運転し、夜遅くまで練習に付き添いました。
引用元:タウンニュース
このサポートのおかげで、湯浅さんは安心してダンスに打ち込むことができました。
母親も仕事を持ちながら、このようなサポートを続けていたことは驚くべきことです。
夜遅くの練習にもかかわらず、翌日の仕事をこなしつつ、娘の夢を支え続ける母親の姿勢は、湯浅さんにとって大きな励みになっていたことでしょう。
父親の影響と教育方針
湯浅亜実さんの父親は、娘たちの教育に対して非常に熱心でした。
父親の職業については詳しく明かされていませんが、家族を支えるために忙しく働きながらも、子供たちのやりたいことを尊重し、全力で応援していました。
特にダンスに関しては、湯浅さんが通うダンススクールの送り迎えを積極的に行い、練習の場を提供してくれました。
また、父親は子供たちの教育にも力を入れ、学業とダンスの両立を重視する姿勢を示していました。
こうした教育方針が、湯浅亜実さんの文武両道の精神を育てたのです。
湯浅亜実の姉・湯浅亜優もダンサーで銀行員
湯浅亜実さんの姉である湯浅亜優さんも、ダンサーとして活躍しています。
引用元:西日本新聞
左の女性がお姉さんの湯浅亜優さんです。
彼女は一時期銀行員として働いていましたが、その後ダンスに専念することを決意しました。
湯浅亜優さんの経歴と、湯浅亜実さんがダンスを始めるきっかけとなったエピソードについて詳しく見ていきましょう。
姉・湯浅亜優の経歴と職業
湯浅亜優さんは、幼少期からヒップホップダンスを始め、その後ブレイキンに転向しました。
彼女は中央大学商学部を卒業し、銀行に就職しましたが、ダンスへの情熱を捨てることはありませんでした。
2020年にオリンピック強化選手に選ばれたことをきっかけに、銀行を退職し、ダンスに専念することを決意しました。
また、彼女は2022年にはラコステのグローバルアンバサダーにも選ばれ、その活動は多岐にわたります。
こうした経歴を持つ亜優さんは、ダンサーとしてだけでなく、様々な分野で才能を発揮しています。
姉の影響でヒップホップを始める
湯浅亜実さんがダンスを始めたのは、姉・亜優さんの影響が大きかったと言われています。
亜優さんがヒップホップダンスを習っていたため、亜実さんも興味を持ち、ダンスを始めることになりました。
最初はヒップホップを学んでいましたが、10歳のときにブレイキンに出会い、その魅力に引き込まれました。
姉妹で一緒に練習し、互いに技術を高め合うことで、亜実さんは短期間でブレイキンの技術を習得していきました。
姉妹の絆が、湯浅亜実さんのダンスキャリアにおいて重要な役割を果たしています。
湯浅亜実と家族のエピソード3選
湯浅亜実さんと家族の間には、ダンスを通じて多くの感動的なエピソードがあります。
ここでは、彼女がダンスを始めたきっかけや、姉妹チームでの優勝、そして姉妹で表彰台に上がったエピソードについて紹介します。
ダンスを始めたきっかけ
湯浅亜実さんがダンスを始めたのは小学1年生のときで、姉・亜優さんの影響が大きかったと言われています。
亜優さんがヒップホップダンスを習っていたため、亜実さんも興味を持ち、ダンスを始めることになりました。
ヒップホップを学んでいた亜実さんですが、10歳のときに偶然参加したブレイキンのレッスンで、その魅力に引き込まれます。
最初に「ウィンドミル」という技に夢中になり、そこからブレイキンの技術を習得していきました。
このように、姉の影響と偶然の出会いが、湯浅亜実さんのダンスキャリアのスタートとなりました。
姉妹チームでの優勝
湯浅亜実さんと亜優さんは、姉妹チームとしても数々の大会で優秀な成績を収めています。
特に、2016年の「BATTLE OF THE YEAR INTERNATIONAL」では、「2vs2 B-GIRL BATTLE」で優勝を果たしました。
当時、亜優さんは21歳、亜実さんは17歳で、この優勝は日本代表の8連覇達成にも貢献しました。
姉妹で一緒に練習し、互いに技術を高め合うことで、湯浅姉妹は世界的なダンサーとしての地位を確立しました。
この優勝は、湯浅姉妹の絆と実力を象徴する出来事となりました。
姉妹で表彰台に上がる
2021年の世界選手権で、湯浅亜実さんは準優勝に輝きましたが、2連覇は果たせませんでした。
しかし、3位に入った亜優さんと共に表彰台に上がることができました。
亜優さんはInstagramで「最高の二日間になりました」とコメントし、亜実さんも「姉妹で表彰台は嬉しぃすぎた」と喜びを表現しました。
姉妹での表彰台は、湯浅亜実さんにとって大きな達成感と励みとなり、さらに高みを目指す原動力となっています。